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燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。  

ふとスポーツ新聞の競馬欄を見ていると、引退馬情報を扱ういわゆる「おつかれさま」の記事が。
高松宮記念を制したアドマイヤマックス(種牡馬)、中山短距離で活躍したシルキーラグーン(繁殖)らとともに、意外?な馬の引退も紹介されていた。
ブルーイレヴン--サッカーボーイ産駒の栗毛馬で、栗東・角居厩舎の所属馬である。かなりの大器と噂され、それに違わぬスピードを持った馬だった。圧巻は中山で開催された東スポ杯。鞍上武豊の神業的ライディングも光ったが、内側に閉じこめられつつも、隙間を縫って抜け出した脚には、ず抜けたものがあった。当然、クラシックをも期待された。しかし、ブルーイレヴンの活躍はここまでであった。翌年明け、京成杯では1番人気に押された。勢いよくスタートを切ったものの、武を持ってしても制御しきれぬほどにかかった。物すごい加速で、先頭まで躍り出てしまった。それでもブルーイレヴンはスピードはゆるめず、二番手を十馬身近くも離して逃げた。まさに狂気としか言えなかった。
そのスピードたるや、まるで短距離戦のごとく、当然二千メートルもの距離で持つわけがなかった。四コーナーを回り直線に入るころにはアラアラになり、十一着に惨敗した。レース後、武豊は
「抜け出した時のスピードはとてつもなかった」
と述懐している。問題は、そのスピードをコントロールできないことだった。この後、ブルーイレヴンは自身の気性に苦しめられる。

ブルーイレヴンの母父には、皇帝シンボリルドルフがいる。初代無敗の三冠馬であると同時に、国内で連を外したのがただ一回という無類の安定感を誇った。しかし、意外にもその血には「狂気」を内包していた。兄弟がみな気性難故に大成できなかった。ルドルフにも当然、その懸念があったが、それを救ったのが調教師だったミスター競馬こと野平祐二とチーム・ルドルフのスタッフだった。
必至に「押える」ことを覚えさせ、内包した狂気を勝負所だけに発揮することで、「爆発力」に変えた。それこそが、皇帝ルドルフの真実であり、強さの秘密であった。

京成杯後、運悪く骨折が発覚。クラシックの道は閉ざされたが、馬の成長には丁度いい休養になった。しかし、1年後の中山金杯で復帰するも見せ場なく敗れた。その後も、9、4、9、4、7着と精彩を欠き続けた。気性の悪さは成りを潜めたものの、今度は競走馬としての「何か」を失していた。とにもかくにも「難しい」馬だった。
復帰の兆しを見せたのは、2004年の金鯱賞。道中9番手に折り合い、直線で逃げ込みを図るタップダンスシチーに猛然と迫った。G1馬相手をアタマ差まで追いつめたのだ。そして関屋記念では1番人気に支持されて見事に優勝した。実に、1年9ヵ月ぶりの勝利だった。
堂々古馬戦線に殴り込みをかけるに見えたブルーイレヴンだったが、その物語はすぐに潰えた。秋の天昇賞を目指して毎日王冠に出走するも3着。その後、パッタリと消息を聞かなかった。そして1年以上たった今日、引退の報を耳にしたのであった。

京成杯で見せた脚は世代随一と言ってもよかった。完成したらとんでもない化物になるかも、と俺も思った。レースをぶち壊す「破天荒さ」、武ですら制御できない荒馬、見ていて痛快だった。しかし、今の時代、そうした個性派にとってはいささか住みにくい。復帰後は、優等生的レースをするただの「重賞馬」になっていた。
結局、誰もブルーイレヴンの真の実力を測ることができなかった。

今後は、北海道苫小牧市のノーザンホースパークで、乗馬と余生を過ごすという。もう、暴れることもないだろう。
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